奇跡の連続、祈りの連続の先にある、私の命
今、ここに命があるということは、有り難いこと・・・「有るのが難しいこと」「希有なこ
と」「不思議なこと」なのだと、後半の人生を歩いている今、つくづく、そう思います。
人として命を頂くことの難しさも、母親になりたいと毎日願い続けて、できる限りの努力も
したにもかかわらず、願いが叶わなかった私は、人一倍理解しています。
人が出会って、結婚して、妊娠し、お腹の中で順調に成長し、誕生することは、それはそれ
は気の遠くなるような奇跡の連続の結果なのですよね。命を頂いたということは、一人一人
に、生を受けたこの世での役割、使命があるのだということです。例え、短い命でも、病気
や障害を抱えていても、コンプレックスを抱えて悩んでばかりでも・・・それぞれが役割を持
って生まれてきた・・・親になることの叶わなかった私には、「あなたの命は、奇跡の連続、
両親や家族の深い祈りの連続の結果なのですよ」と伝える役割もあるのだろうと思い、意識
して伝えてきました。
誕生日に「生んでいただいてありがとう」とつたえてみましょう
初めて、母に「生んでいただいてありがとうございます」と伝えたのは、20年くらい前だ
ったと思います。誕生日はプレゼントをもらう日ではなくて、親に「生んでいただいて、あ
りがとうございます」とお礼を言う日だと、教えてくれた人がいたのです。そのことに、と
ても感激して、今年は、母にお礼を言いたいと思いました。でも、誕生日が近づくと、何だ
か緊張してしまい、当日などは、気が重かったのを思い出します。でも、電話をかけて「お
かあさん、今日、元気に○○の誕生日を迎えました。生んでいただいてありがとうございま
す」とお礼が言えたときの、うれしさは今でも覚えています。照れくさいのは最初の1回だ
けです。2回目は、ハードルは、グッと下がり、その後は楽しみになります。
母に「生んでいただいて、ありがとうございます」と伝える幸せ
今日、57回目の誕生日を迎えました。いつものように、電話をかけてお礼を言うことが出
来ました。母も高齢になり、来年伝えられるかどうかもわかりませんし、私だって来年元気
に58歳を迎えられるかわからないのです。伝えられることに感謝して、まごころからお礼
を言わせてもらいました。
誕生日には、もう一つ、有り難いことがあるのです。主人から毎年花束を頂きます。今年
で、34回目でした。それに、私の母にも花束とメッセージカードをプレゼントしてくれる
のです。つくづく有り難いなぁと思います。私に頂いた花束は、誕生日の4日後に義母の命
日を迎えるので、亡き義母に感謝を伝えて、仏壇にお供えしています。何でも、感謝して喜
べば、その喜びは、また次の喜びを連れてくるものですね。どんな時でも、感謝で見ること
が出来る眼を持ちたいものです。